久しぶりのblogがなんか堅いテーマですんません。
円盤ライダー渡部将之です。
明けましておめでとうございますも大分過ぎたこの時期に何故にこのテーマ!?
2017年最初の投稿がこのテーマ!?と自分でも思いますがね、横浜の教育委員会の件もありますが。ツイッターで書くには文字が足らなかったのです。
俺の思い的なものがツイッターの文字制限を越えたのです久しぶりに。
去年秋くらいかな、俺初めて息子を叩きました。
ぶん殴ったと書いたら星一徹みたいなんですが実際は平手打ちでしたが。
拓海がね、自分より小さなお友達とおもちゃの取り合いをして、そのおもちゃで叩いてしまったのです。
その子のおでこには傷が出来て、当然お母さんは怒り心頭です。
俺はね、男の子なんてどんどん喧嘩すればいいと思っております。腕力がまだ無い内にそう言う経験をしておかないと加減がわからなくなる。中学生?くらいまでは殴り合いしなさいよ、と。
俺は拓海が「自分より弱い相手」に「武器を使った」のが許せなかった。
拓海の目線でしっかり話す
「いいか、お父ちゃんこれから拓海を殴る、お友達はこれより痛い思いをしてる、自分より弱い相手に武器を使って怪我をさせたのはお父ちゃん悲しいぞ」つって。
バチーーーン!!!
まぁまぁの音とともに息子の号泣、そして相手のお母さんの「もういいですから!」とか色んな音がしたが何より初めて息子を叩いた掌の痛いこと。
拓海は泣き叫んだまま「ごめんなさいーー」と言う。
ダメです、それではお父ちゃん許せない。
抱き締めたい思いを抑えて「拓海、ちゃんと落ち着いて自分で考えなさい、何でお父ちゃんに叩かれたのか。お友達が泣いてるのか、お友達のお母さんが悲しんでいるのか」
ついテンション上がって色々背負い込ませる悪い父親だがこれも必要だ。
俺もとーちゃんの階段登るんだ。
すると少しして落ち着いた拓海は、ちゃんとお友達に「ごめんなさい」って謝った。
その頃にはお友達も落ち着いていて、お母さんも許してくれた。
次は俺号泣(しそう)
ガッツリ拓海抱き締めて帰路に着きましたとさ。
お
ち
ま
い
いや、終わりじゃない。
こんな去年の俺の勝手な教育論を書いて終わりじゃない。
ここ数年のなんか「臭いものには蓋をしろ」的な風潮が気持ち悪い。
いじめなんてのは絶対に無くならない、いじめはある!起こり得る。それを前提にちゃんと大人が光を当ててやることが大事だと思う。
子供は自分がやってることをちゃんとわかってる、悪い事をやってるなんてハナっから知ってるの。
それが大人の都合で無かったことにされたら子供はどう思うか。「バレなかったラッキー」なんて思わない。
「馬鹿にされた」「無視された」って思う。
そうするとドンドンエスカレートしていく、相手の事なんか考えない、だって原因は「俺を見て!」「無視しないで」だから。最悪の事態になるまで止まらない事だって起こり得る。
大人が真っ正面から光を当てて、ぶつかってやることが一番早い。
ワルガキ達は絶対知ってる、散々怒られて、先生にも親父にもぶん殴られて相手に謝った(謝れた)後のサイダーが美味いのを。
そうやって謝る機会すら奪われたら悪は闇に落ちていく、闇や陰に落ちていくと心が光を求めなくなる。
今の教育委員会はワルガキを一番効率よく犯罪者にしたてる構造になってる。
全部大人の都合だ。
臭いものには蓋をしろ、見ないふりをしろ。を進めて日本はあんまり良い空気になってない。
極論すると戦争だって無くならない、今まで全世界が平和だった事なんて一度も無いんだから。
日本では起こってない?年間三万人超が自殺する国、これはシリアの内戦で無くなってる人口の半分。戦争してないのに、こんなに亡くなってる。逆に怖い。争いの仕方が変わっているだけ。
いまだに10代20代の自殺率が伸びているらしい。大人が無かったことにした反動が現れてると思うよ。
俺も父親になって、少なくとも拓海にはちゃんとぶつかれる大人でいようと思う。
馬鹿な親父だけど。
そんな事思った2017年最初の投稿でした。