やぁぁぁぁっと話せる!!
本日、渡部にとって大きな発表がありました!
【公式ウェブサイト&ニュースリリースの内容はココをクリック】
星が丘に新しい劇場が誕生します!!
名古屋で120席規模(最大121席)の劇場が2027年7月にオープンします。
その名も――
「星が丘プレイハウス」

そして私は、、
星が丘プレイハウスの芸術監督をつとめます!
うーーーー、、
この発表を……どれだけしたかったことか。
ここ数年「マサ最近何やってるの?」と聞かれるたびに
「まあ、そのうち発表しますウヘヘ」
と、ごまかし続けてきました、、
この2年役者として表方の仕事をしていなかっただけで!なんなら近年稀に見る演劇にどっぷり浸かっている2年だったのよホント!!
ゆーてたぶん漏れ出てはいたと思うんですよええ。
「なんでハートグローバルさんで全国の劇場を回ってるの?」
とか
「イギリス視察旅行って何?」
とか
ここ2年の活動の根っこの部分を話せなかったから自分でも変な近況報告になっていました。
そう、、、ココ数年の活動は全て星が丘劇場計画の一部だったのです!(大袈裟)




↑漏れ出てた写真達↑
だ!か!ら!
今日は本当にうれしい!!
やっと皆さんに話せる。
というわけで……今日は俺の話を聞いてくださいな
事の始まりは14年前
2012年でした
星が丘フリンジを一緒に立ち上げた
東山遊園株式会社 水野宏洋社長、、
ごめんひろみって言わせて!
実は中学・高校の同級生です。
演劇好きで、東京では朝劇や円盤ライダーを毎回観に来てくれるような親友
そんなひろみと世田谷で円盤ライダーの公演を終え一緒にピザを食べていた時のこと。
ひろみ 「星が丘に劇場を建てたいんだよね」
渡部 「やめとけぃ!(即答)」
……いや、本当にここから始まったんです。
当時は東日本大震災の翌年、
東京でも小劇場が次々と閉館していた時代でした。
「劇場を建てる」
東京ならいざ知らず名古屋に、、正直かなり無謀な話でした。
それでも2014年10月1日。
「劇場がない星が丘で演劇祭を!」
そんな想いで星が丘フリンジの第一回を開催しました。
慣れない企画書を抱えて東山遊園さんへ通い、何度も話し合い、紆余曲折を繰り返し……あれから15年近く。
ようやく来年、その夢が形になります。
本当にすごいと思う
俺じゃないよ。
ひろみが、諦めなかった。
ずっと
ずーーっと諦めなかった。
本当にすごいやつです。
そしてそしてクリエィティブディレクターにはこちらも中高の同級生
株式会社ナニラニ代表取締役 村瀬 隆明氏、、
ごめん むらちょ って言わせてーー!!
むらちょはもーね!頭は良いわ、面白いわ、バレー部ではキャプテンだわでスター的な存在でしたよもう、そのまま立派に育ってもう、俺はもう、、
劇場のロゴデザイン最高ですよむらちょ凄いよあんた本当にもう

……こらあかん
ちょっと感動してきた。
今日くらい自分の演劇人生を振り返らせてください。
いいよね?
全然ブログ更新してなかったから凄い文量になってもいいよね?
ここから少しだけ、一人称も「僕」になります
↑
何故
23歳の頃。
東京へ出てきた僕は、右も左も分からないまま
「演劇で飯を食う」
そんな夢だけを握りしめていました
今思えばとてもシンプルな夢です。
でも、あの頃の僕にとってはそれだけで十分大きな夢でした。
演劇で生活する
続ける
生き残る
あの頃、渋谷を歩くたびに足を止めて見上げていたものがあります。
岡本太郎さんの『明日の神話』。

実は僕が上京した頃、あの壁画はまだ渋谷にはありませんでした。
2008年に移設されてから仕事や稽古で渋谷へ行くたび、あの巨大な壁画の前で立ち止まりました。
「演劇で身を立てる」
そんな気持ちを奮い立たせてもらった場所です。
岡本太郎さんは『明日の神話』で成功を描いたわけではありません。
人類の悲劇を題材にしながら、それでも生命は前へ進むことを描いた作品です。
当時の僕はその意味を深く理解していたわけではありません。
でも今思うとあの作品に惹かれていた理由が少し分かる気がします。
思えば劇場ではない場所で芝居をやりまくりました。
朝から芝居をやったり。
演劇×謎解きで池袋に常設会場を作ったり。
カフェ、ホテル、温泉施設、ボウリング場、豪華客船でもやったり。
コロナで劇場が止まれば、ズーム演劇やドライブインステージとして立体駐車場でもやった。
そんなことを20年繰り返してきました。もちろんエイジさん、もりちゃん、一番最初のメンバー冠仁さん、うじさん、旗揚げ公演から最高の世界を創り続けてくれた臣太朗さん、そして全ての関係者の皆さん、何よりそれを応援してくれた皆様のおかげです。
あかん幸せすぎんか俺。

↑星が丘フリンジ演劇祭も2021年まで続ける事が出来ました!中日新聞夕刊一面トップに載ったのは嬉しかった!びっくりしたもん。

↑どんどん建っていく劇場を撮ってたりしてたんだよーーー!
こーゆーのもやっと発表出来ますよ!
感無量!
気付けば48歳。
今の夢は少し変わりました。
昔は「演劇で飯を食う」でした。
今は「演劇で恩返し」です。
演劇の未来に何か一つでも残すこと
誰かが演劇と出会える場所を残したい
街に文化が根付く仕組みを残したい
そんな願いです。
最近、ふと思うことがあります。
昔の自分は
「演劇から何をもらえるか」
を考えていました。
今の自分は
「演劇に何を返せるか」
を考えています
当の昔に「生存」という夢は叶いました。
だからこの先の人生は演劇への恩返しです。
自分一人の人生を豊かにするためではなく
これから演劇を始める誰かが
「この劇場があったから」
そう言ってくれる未来を作るために。
今年久しぶりに渋谷で『明日の神話』を見上げました。
20代の自分は
「俺は演劇で生きていく」
と思って見上げていました。
40代の自分は
「演劇に何を残せるだろう」
と思って見上げていました。
同じ絵なのに、見ている景色はまったく違っていました。
最初の夢が叶ったからこそ生まれた次の夢。
夢は叶えたら終わるものじゃありません、
一つ叶うたびにその先にもっと大きな夢が待っていました。
今回の劇場もゴールではなくようやくスタートライン!
これは本当そう、こっからが大変よ。
みんなオラに力を貸しとくれ!
「役者がいるところが舞台だ!」と
劇場ではない場所で演劇を続けてきた人間が、新しい劇場づくりに最初から関わり、その第一幕を任される、、、、
これ以上ない始まりだと思っています。
この劇場が20年後、30年後に誰かの人生を変える場所になっていたら。
その時ようやく本当の意味で演劇に恩返しができたと言えるのかもしれません。
「この劇場は僕の夢ではありません
これから誰かの夢が始まる場所にしたいと思っています」
心が躍る“劇場(パワースポット)”をつくる
また一つ大きな夢のスタートラインに立てました
これからもどうぞよろしくお願いします。
円盤ライダー代表 初代ライダー渡部将之

